近年、日本の音声メディアを取り巻く環境は、静かですが決定的な転換点を迎えています。民間AMラジオ局の運用休止とFM転換、NHKラジオ第2放送の廃止、radikoを軸としたIP配信基盤の拡充、そしてポッドキャスト市場の着実な成長。これらは個別の技術的トピックではなく、日本という国における「音声文化そのもののあり方」が、次の段階へと不可逆的に移行しつつある兆しです。
ここで問うべきは、「ラジオは終わるのか」という単純な問いではありません。むしろ、「声はこれからどこに居場所を見つけるのか」という、より本質的な問いです。本稿では、アメリカの音声文化との比較を補助線としながら、日本の音声文化がいまどのような構造変化のただなかにあるのかを、できるだけ具体的な事実に即して考えてみたいと思います。
いま、日本のAMラジオに何が起きているのか
まず、事実関係を整理します。
総務省は2023年、民間AMラジオ放送事業者がAM局を一定期間休止しても免許取消事由に該当しないとする「特例措置」を設けました。これは、AM送信設備の維持・更新に要する経営負担が限界に達しつつある地方局の実情を受けた制度設計です。AM放送はその電波特性上、送信アンテナが大型化しやすく、設備コストが極めて高い一方、FM放送であれば送信施設の規模とコストを大幅に圧縮できます。
第一期の特例措置(2023年11月~2025年1月、のちに2026年10月まで延長)には13社が参加し、全国34のAM局が運用を休止しました。続く第二期(2025年9月~2026年10月)には新たに14社が加わり、参加事業者は合計27社に達しています。全国の民放AM局は47社ですから、すでに半数を超える事業者がAM停波の実証実験に参加していることになります。
注目すべきは、在京3社(TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送)と在阪3社(ABCラジオ、MBSラジオ、ラジオ大阪)がいまだ参加していない点です。これらの大都市圏広域局では、既存のFM補完放送だけではAM放送のカバーエリアを十分に代替できないという事情があります。とはいえ、業界全体が2028年秋の一斉再免許までにFM転換を目指す方向で動いていることは、もはや明確です。
さらに、2025年9月にはNHKが経営委員会でラジオ第2放送の廃止を正式に議決し、同年11月に総務省が認可しました。1931年に始まり95年間にわたって教育・語学番組を届けてきたNHKラジオ第2は、2026年3月29日をもって放送を終了します。NHKのラジオ放送は、新AM(ニュース・生活情報中心)と新FM(音楽・語学・教育中心)の2波体制へと再編されます。
これらの動きを俯瞰すると、日本のAM放送はいま、段階的かつ構造的な縮小局面にあるといえます。ただし、ここで強調しておきたいのは、「AM放送の縮小」と「音声文化の衰退」はまったく別の現象だということです。
アメリカでは、ラジオはいまも生活の音である
日本の音声文化の行方を考えるうえで、アメリカとの比較はきわめて有効な補助線になります。ただし、その比較は「アメリカではポッドキャストが主流になった」という通俗的な理解を正すところから始める必要があります。
NielsenとEdison Researchの共同調査(2025年第1四半期)によれば、アメリカ人は1日あたり平均3時間54分を音声メディアに費やしています。そのうち広告付き音声メディア(ラジオ、ポッドキャスト、ストリーミングなど)における時間配分を見ると、ラジオが全体の66%を占め、ポッドキャストは19%、ストリーミングオーディオは3~5%にとどまります。
週間リーチで見ると、AM/FMラジオは成人の84%に到達しており、これはスマートフォンでのSNS利用(78%)、コネクテッドTV(74%)、従来型テレビ(58%)のいずれをも上回る数値です。Katz Radio Groupの分析では、毎週2億2500万人以上のアメリカ成人がラジオを聴いているとされています。
なぜアメリカではラジオがこれほど強いのでしょうか。その最大の要因は、車社会という生活基盤にあります。Gracenoteの2025年自動車インフォテインメント調査によれば、アメリカのドライバーの4人に1人が「車に乗ることはラジオをつけること」と回答し、3分の2以上が「運転中はたいていラジオを聴く」と答えています。広告付き車内オーディオのうち、AM/FMラジオのシェアは約56%にのぼります。
つまり、アメリカにおいてラジオは「意識して選ぶメディア」というよりも、生活のなかに組み込まれた環境音に近い存在です。通勤、買い物、送迎——移動のあらゆる場面で、ラジオは「そこにあって当たり前の音」として機能しています。
その一方で、ポッドキャストはラジオを置き換えたメディアではなく、ラジオとは異なる役割を担う存在として定着しました。NPRの調査では、トーク型音声コンテンツにおけるポッドキャストの時間シェアは2023年時点で36%に達し、ラジオ(44%)に迫る勢いを見せています。とはいえ、これはラジオの衰退ではなく、音声文化全体のパイが拡大するなかでの役割分担と見るべきです。ラジオが「いま起きていること」を届けるリアルタイムの音だとすれば、ポッドキャストは「自分で選び、自分のペースでじっくり聴くための音」です。この二層構造こそが、アメリカの音声文化の厚みを支えています。
日本のラジオ文化は、もともと性格が違う
では、日本はどうでしょうか。ここで重要なのは、日本のラジオ文化がアメリカとはまったく異なる文化的文脈のなかで形成されてきたという事実です。
日本における通勤の主役は電車です。密閉された車内で周囲を気にしながら過ごす時間は、イヤホンでスマートフォンの画面を見る時間に転換されてきました。車通勤が日常であるアメリカと異なり、日本の都市部では移動中にラジオが「自然に流れている」という状況は、構造的に生まれにくいのです。
その結果、日本のラジオは「好きな人が意識的に選んで聴くメディア」として独自の発展を遂げてきました。深夜ラジオに耳を傾ける若者、特定のパーソナリティの語り口に惹かれるリスナー、地方局のローカル番組を日課のように聴く高齢者——日本のラジオ文化は、熱量の高いリスナーに支えられてきた「選択型」の文化です。
この性格は、radikoの利用実態にもはっきりと表れています。radikoの月間ユニークユーザー数は約850万人、プレミアム会員(有料)は約110万人に達し、1ユーザーあたりの1日平均利用時間は130分を超えます。これは「たまたま聴いている」人の数字ではありません。能動的にラジオを選び、長時間にわたって聴き続ける、忠誠度の高いリスナー層がradikoの基盤を形成しているのです。
radikoは2024年2月にポッドキャスト配信を開始し、同年10月にはタイムフリー聴取期限を30日に拡大、2025年7月にはApple CarPlayおよびAndroid Autoに対応したカーアプリをリリースし、Google Play ベスト オブ 2025のカーアプリ部門で大賞を受賞しました。radikoは単なる「ラジオのネット配信」から、音声コンテンツのプラットフォームへと進化しつつあります。
こうした文脈を踏まえると、AMラジオという送信方式の縮小は、日本の音声文化にとって「文化の断絶」ではなく、「役割の引き渡し」として捉えるのが適切です。声を届ける仕組みは、AMからFMへ、電波からIPへと移行しますが、声そのものが消えるわけではありません。むしろ、声を届ける経路が多様化し、より柔軟になっていくプロセスの途上にあるのです。
日本におけるポッドキャストの現在地
では、ポッドキャストは日本の音声文化のなかでどのような位置を占めつつあるのでしょうか。
オトナルと朝日新聞社が共同で実施した「第5回ポッドキャスト国内利用実態調査」(2024年12月実施、15~69歳の男女10,000人対象)によれば、日本国内のポッドキャスト月間利用率は17.2%です。2020年の調査開始時が14.2%でしたから、5年間で着実に上昇を続けていることがわかります。
特筆すべきは世代別の数字です。15~19歳の利用率は34.0%——およそ3人に1人がポッドキャストを月1回以上聴いています。20代でも27.3%にのぼり、若年層においてはTikTokに次ぐ利用率で、Netflix、Facebook、雑誌、ABEMAを上回る存在となっています。
聴取プラットフォームの首位はYouTubeで、2位がSpotifyです。ビデオポッドキャストの視聴経験者は全体の30.7%、20代では44.3%に達しており、音声と映像の融合も若年層を中心に進んでいます。また、ユーザーの約5割が30分未満の番組を好んで聴取しており、10代では約4割が20分未満の番組を選ぶ傾向にあります。
一方で、アメリカのポッドキャスト広告市場が2023年時点で約19億ドル(約2,867億円)、2026年には約25.6億ドル(約3,815億円)に達すると予測されているのに対し、日本の音声広告市場は規模こそまだ限定的です。日本のポッドキャスト市場は、2030年代前半まで年率15%前後の成長が見込まれているものの、アメリカのような広告主導型の大規模市場とは異なる発展経路をたどる可能性が高いといえます。
では、日本のポッドキャストはどのような存在として定着していくのでしょうか。アメリカのように社会全体を覆う主流メディアになるかといえば、同じ道をたどるとは考えにくいです。しかし、それは否定的な意味ではありません。
日本のポッドキャストは、もっと静かに、個人的な距離感で広がっていくものだと考えられます。画面を見ることに疲れた時間帯、移動中や作業中の耳だけが空いている瞬間、夜のひとりの時間——そうした場面で、声だけがそっと寄り添うメディアです。
radikoの調査でも、仕事・勉強中や移動中、家事中といった「画面を見られない時間帯」において、音声メディアが高い接触率を示していることが明らかになっています。ラジオ・radikoは移動中の音声メディア接触で1位、仕事・勉強中ではYouTubeに次ぐ2位を獲得しています。これは、音声メディアが生活のなかの「ホワイトスペース」——視覚メディアが届かない余白の時間——を確実に埋めていることを示しています。
日本のポッドキャストは、「音声版のテレビ」ではありません。情報は過剰に主張せず、語りは落ち着いていて、文脈を大切にする。「生活の余白に置かれる音」として、日本の生活様式に合った独自のかたちで根づいていく可能性があります。
声は、どこで残されていくのか
ここまで見てきたように、AM放送の構造的縮小は、音声文化の消失ではなく、「声を届ける場所」の再配置を意味しています。
これまで、プロフェッショナルな音声コンテンツの制作と流通は、放送局という大きな制度的枠組みのなかで管理されてきました。番組が企画され、スタジオで収録され、電波に乗せて届けられる——このプロセスを担えるのは、放送免許を持つ事業者だけでした。
しかし、いまその構造は変わりつつあります。ポッドキャスト、企業のオウンドメディア音声、ナレーション、対話型コンテンツ、記録音声、オーディオブック——音楽以外の音声表現も含め、放送局の外側で「声をつくり、整え、届ける」営みが急速に広がっています。
企業がポッドキャストを自社のブランディングや採用広報に活用する動きも加速しています。音声を通じて企業文化や専門知識を発信し、リスナーとの長期的な関係を構築する手法は、従来の広告では得られなかった信頼感と親密さを生み出しています。ポッドキャストユーザーの5割以上が、番組で聴いた商品やサービスについて検索や購入の行動を起こした経験があるという調査結果は、音声メディアの影響力が単なる認知にとどまらず、具体的な行動変容にまで及んでいることを物語っています。
こうした変化のなかで、「声をどう残すか」という問いが、技術的な課題としてだけでなく、文化的なテーマとしても浮上してきています。スタジオで丁寧に収録され、プロの手で編集され、適切なかたちで届けられる音声——そのプロセスの価値は、放送の制度が変わっても変わりません。むしろ、音声コンテンツの流通経路が多様化する時代だからこそ、「録音・編集・整音」という制作工程の専門性が、以前にも増して重要になっていくのです。
声は、放送だけのものではなくなりました。しかし、だからこそ、声を「正しく」残すための技術と場所が、あらためて必要とされています。
音声文化は終わらない——再編される
2026年3月にはNHKラジオ第2が95年の歴史に幕を下ろし、全国の民放AM局の過半数がFM転換に向けた停波実験を進めています。数字だけを見れば、日本のラジオは縮小局面にあるように見えるかもしれません。
しかし、radikoの月間850万ユーザーは高水準を維持し、ポッドキャストの利用率は若年層を中心に着実に拡大し、音声広告市場は成長を続けています。AM放送という特定のインフラが縮小しているのであって、「声を聴く」という行為そのもの、そして「声を届けたい」という欲求そのものは、むしろ多様な出口を見つけながら広がりつつあります。
アメリカでは、ラジオとポッドキャストが役割を分け合う二層構造のなかで、音声文化全体が厚みを保っています。日本がこれとまったく同じ構造をたどることはないでしょう。しかし、日本には日本の音声文化の質感があります。
大きな声よりも、確実に届く声。即時性よりも、時間をかけて積み重ねる語り。消費される音よりも、残される音。
日本独自のテンポと距離感で、音声文化はいま、静かに、しかし確実に再編されています。それは終わりではなく、次の章の始まりです。