2020年、世界は静止した。
新型コロナウイルス感染症の拡大は、人と人が同じ空間に集まることを社会的な禁忌へと変え、音楽という文化の根幹を静かに、しかし確実に揺さぶりました。ライブハウスは閉じられ、スタジオには人が来なくなり、長年にわたって積み上げられてきた制作の現場が、ほぼ一夜にして機能を停止しました。そしてその混乱が収まりかけた頃、今度は生成AIという、別の種類の衝撃が音楽の世界を貫きました。
コロナ禍から数えて6年が経った2026年の現在、録音制作の現場は何を守り、何を失い、そしてこれから何を問い直そうとしているのか。この論考では、その問いに正面から向き合います。結論を先に述べるならば、混乱の6年間が逆説的に照らし出したのは、録音スタジオという場所が本来持っている、人間の表現という「一次情報」を物理的に記録する行為の、揺るぎない本質的価値です。
Ⅰ コロナ禍が音楽産業にもたらした構造的転換
まず、数字を確認しておく必要があります。
国内のライブ・エンタテインメント市場は、2011年以降、年平均成長率8.3%という堅調な拡大を続けていました。2019年には4,237億円と過去最高を記録したコンサート市場が、翌2020年には1,241億円(ぴあ総研、2020年6月時点の速報値)と、前年比3割にも満たない水準へと急落しました(経済産業省「ライブ・エンタテインメント白書2023」)。わずか1年で、産業の70%以上が蒸発した計算になります。
一方で、同じ2020年のレコード産業の全世界売上は前年比7.4%増の216億ドルを記録しており、ストリーミングが売上全体の6割以上を占めるようになりました(IFPI Global Music Report 2021)。著作権管理団体への影響を見ると、CISAC(著作権協会国際連合)が2021年10月に公表した報告書によれば、2020年の音楽に係る徴収額は前年比10.7%減少して約81.9億ユーロとなっています(CISAC Global Collection Report 2021)。ライブが壊滅するなかで、デジタル配信だけが一人勝ちするという、きわめて歪な二極構造が生まれたのです。
レコーディングスタジオを含む音楽制作現場への影響は、数字だけでは語り切れません。コロナ禍においては「レコーディングスタジオに入れない制限を考慮して、アルバムリリースや制作スケジュールを遅らせる場合がある。リリース延期や中止は、作曲家や音楽プロデューサーが収入を得る機会の減少を意味している」という状況が広く報告されました(Billboard Japan「作曲家、作詞家は、誰が支援するのか」2020年)。また一般社団法人日本音楽スタジオ協会(JAPRS)が「レコーディングにおける新型コロナウイルス感染症予防対策ガイドライン」を策定するなど、業界団体レベルでの対応が迫られました(Recording Forum 2020年)。
Ⅱ 助成金という潮流と、その後の静寂
状況を受け、多くの施設が配信事業への転換を急ぎました。国や自治体による助成金が後押しし、ライブハウスやスタジオが競うように映像配信のための機材を導入しました。経済産業省の「ライブエンタメ産業の基盤強化支援補助金(JLOX)」は2023年にも複数回の公募を行っており、デジタル技術を用いた事業強化が業界全体に奨励されていました。
しかし結果として、設備投資に踏み切った施設の多くは、数年を経ずして事業の継続を断念することになります。理由は単純です。固定費が増大した施設が、次の変化に対応する体力を失ったのです。
ライブハウスはもともと、チケット収入とドリンク代という薄利のビジネスモデルで成立していました。長期休業で収入が途絶えた一方、家賃や人件費などの固定費はかかり続け、多くの経営者が資金繰りに苦しみました。政府からの休業補償や支援金は一部提供されたものの、金額やスピードが十分でなく、再開後も入場制限や消毒対策の追加コストがかかり続けました(el music Blog「コロナで閉店してしまった東京のライブハウス」2025年)。配信という潮流に乗って機材を揃えた施設も、無料配信が主流となった当時の状況では、それが収益に直結することはほとんどありませんでした。
さらに深刻な問題が、その後に続きます。コロナ禍が長期にわたったことで仕事が失われ、業界を離れてしまった人材が少なくない。単に市場が激減しただけでなく、人材を育てることも、つなぎとめることもできなかった3年間であった。いざアフターコロナになって、離職者が戻ってこない、スタッフが集まらないという状況が生まれ、コンサートプロモーターとしても新たな企画を引き受けにくくなっている、と経済産業省の報告書(2024年12月)は記録しています。
助成金という潮に乗った者が生き残るのではなく、むしろ設備投資による固定費の増大が、次の変化への対応力を削ぎました。潮の流れを読む直感こそが、この局面での分水嶺でした。
Ⅲ 個人制作への転換と、AIによる無効化
コロナ禍がもたらした変化の、もうひとつの側面があります。スタジオでの共同作業から、個人によるデジタル制作(DTM)への移行です。
密室での複数人作業が難しくなった状況のなかで、多くのクリエイターが自宅での個人制作へとシフトしました。BeatStarsやAirbitといったビート販売プラットフォームの台頭は、その象徴でした。これらのサービスにより、アマチュアプロデューサーが作った楽曲が複数人にリースされ収益に繋がるという流れが生まれ、自分の作ったビートが資産となるという仕組みが成立しました(TRIVISION STUDIO「ビートリーシングについて」2021年)。「これからは個人でのトラックメイクの時代だ」という空気は、コロナ禍の音楽現場で広く共有されていました。
しかし、2025年から2026年にかけての生成AIの急速な普及は、この個人制作モデルを根本から無効化しました。Suno AIやUdioといったサービスは、テキストによる短い指示から歌詞・伴奏・ボーカルを含む完成楽曲を数秒で生成します。世界の音楽における生成AI市場は、2025年に4億7,580万米ドルと評価され、2025年から2035年にかけて年平均成長率30.6%で拡大し、2035年末までに53億9,470万米ドルを超えると予測されています(Survey Reports 市場調査レポート)。また経済産業省の報告書(2024年)は、音楽生成AI市場が年平均成長率28.6%で成長し、2033年には36億ドル(約5,400億円)規模に達すると見込んでいます。
コロナ禍にBeatStarsへの登録を始めたクリエイターたちが積み上げてきたビートは、AIが一瞬で生成する無数の楽曲の中に埋もれました。数年をかけて構築した個人資産が、新しい技術によってほぼ無価値化される。それは技術革新の「進歩」とは呼びにくい、ある種の蹂躙です。
Ⅳ AIが音楽クリエイターに与える経済的損失
被害は感覚的なものにとどまりません。
CISAC(著作権協会国際連合)は2024年12月、生成AIが市場に浸透することで音楽クリエイターの収入が2024年から2028年までの5年間で総額100億ユーロ(約1兆6,000億円)減少する可能性があると発表しました。2028年単年では40億ユーロの損失が見込まれており、音楽クリエイターの収入の24%がリスクにさらされ、特にストリーミングを筆頭とするデジタルソースからの収入は30%減少する恐れがあるとされています(Musicman「音楽クリエイター、生成AIで1.6兆円の損失も」2024年)。
著作権をめぐる法的混乱も続いています。Sunoをはじめとするサービス提供側は「学習は著作権侵害にあたらない」と主張しますが、大手レコードレーベル側は「想像を絶する規模での著作権侵害」だと反論しており、ドイツの著作権管理団体GEMAによるSunoへの提訴など、法廷での争いが世界規模で展開されています(Zenn「音楽業界×AIエージェントの未来考察」2025年)。
さらに本質的な問題として、AI生成音楽が抱える「一次情報の劣化構造」があります。AIはすでに存在する音楽データを学習してパターンを再構成します。「AIの音楽制作を人間が越えられない」が前提となれば、ヒット曲のパターンデータは過去から引用し続けることになり、音楽の進化自体がむしろ停滞するという指摘があります(ミュージックバンカー「生成AIと音楽業界の未来」)。AI生成楽曲が増えれば増えるほど、次世代のAIはそのAI生成物をも学習します。元の演奏という一次情報から離れるほど、音楽は劣化の連鎖に入っていきます。
広告業界などではすでにAI生成楽曲の利用が始まっており、低予算のプロジェクトでプロの作曲家を雇わなくなる傾向が顕著になってきています(デロイト トーマツ「生成AIが音楽ビジネスモデルにもたらす影響」)。これは短期的なコスト削減である一方、中長期的には音楽文化の底が抜けていく過程でもあります。
Ⅴ 録音スタジオの本質――「空気を刻む」という一次行為
ここで、根本的な問いに立ち返る必要があります。レコーディングスタジオとは、何をする場所なのか。
答えはきわめてシンプルです。人間が発した音を、物理的に記録する場所です。デバイスが磁気テープであれ、デジタルメディアであれ、あるいは現代のDAWであれ、その本質は変わりません。マイクが空気の振動を捉え、電流へと変換し、プリアンプがその信号を増幅して記録媒体へと刻む。この一連の物理的・電気的な過程こそが、録音という行為の核心です。
プリアンプという機器の役割は、この点において重要な示唆を与えてくれます。レコーディングスタジオでは、マイクを直接インターフェイスにつなぐのではなく、その前にSSLやNeveなどのミキサー卓のプリアンプとコンプレッサーを通します。しっかりしたマイクプリを通さないと、音が細くなり、歌や楽器本来の芯のある音を拾うことができません(ワンズウィルミュージックスクール「宅録とスタジオ録音の音質の差はどこから生まれるのか」)。大型コンソールに搭載されるマイクプリは複数の部品がアナログの回路で組み上げられており、通すだけで音質の変化が起きます。この音の変化こそが音楽的に好ましいとされ、「音を変質させる」というもう一つの効果が長年にわたって重要視されてきました(ギター博士「マイクプリアンプ特集」)。
録音におけるサンプルレートの高さは、アナログの音声をデジタルデータにする際の精度と直結します。サンプルレートが高いほど1秒間の標本化の回数が増え、その場で鳴っていた音の細かいニュアンスや空気感をより正確に捉えることができます(スタジオノア「録音品質を決めるサンプルレートとbit深度の重要性」)。これは技術的な話でありながら、同時に哲学的な話でもあります。録音とは、その瞬間の空気を刻む行為なのです。
そしてこの行為には、もう一つの決定的な要素があります。それが「他者の介在」です。エンジニアとアーティストが同じ空間に存在し、音について議論し、批評し、判断を共有する。マイクのセッティングをミリ単位で調整し、プリアンプのゲインを耳で確認しながら決める。テイクを聴き返して「もう一度」と言う。この複数の人間による共同判断のプロセスこそが、録音という行為を単なる機械的な記録と隔てるものです。AIはこのプロセスを持ちません。AI生成音楽には、「誰がその瞬間に立ち会ったか」という文脈が、根本的に存在しないのです。
Ⅵ ジャーナリズムが気づいたこと、音楽が問い直すべきこと
この構造は、音楽だけに固有のものではありません。
英オックスフォード大学ロイター・ジャーナリズム研究所が2026年1月に発表した報告書『Journalism, Media and Technology Trends and Predictions 2026』は、世界51の国と地域から選ばれた280人のメディア幹部を対象とした調査結果をまとめたものです。そこには、きわめて示唆的なデータが記録されています。「現場取材やオリジナル報道を強化すべき」とする回答が、「縮小すべき」とする回答を91ポイント上回り、分析や文脈整理は82ポイント、人間的なストーリーは72ポイントと続いています(AMP「ニュースは本当に読まれなくなったのか」2026年)。
天気やテレビ番組表、商品レビューといった定型的な情報はAIが即座に提示できるようになりました。そうした領域で従来型の記事を量産しても競争優位を築けないという判断が、世界中の編集現場で共有されつつあります。だからこそ、「直接人に会って聞き出した本音」や「現場の空気感」を捉える力を磨くことが戦略となり、情報の一次発信者(ソース)を握る記者の価値は、AI時代にこそ最大化するという見解が生まれています(永遠研「AIの進化により新聞社の仕事はどうなるのか」2025年)。
同様の視点は、コンテンツ論の文脈でも繰り返されています。AIが得意とするのは、膨大な情報から必要なものを集めて加工するような「コンテンツ」の大量生成です。しかし人間が感情を動かされるのは、「コンテンツ」ではなく「コンテキスト」(文脈)だという指摘があります。人と人をつなぐ文脈は、まだ人間にしか作れません(Salesforce「各業界のインフルエンサーが語るAIの影響と未来」2025年)。AIによる情報の洪水の中で人々が渇望するのは、「誰が言っているのか」という責任の所在です(広告代理店の未来を考えるブログ「2030年のオールドメディア再評価」2025年)。
この問いは、録音の世界に置き換えれば、そのまま成立します。「誰が、いつ、どこで、誰と、何を録音したのか」。その問いに答えられる音源だけが、AI生成音楽との本質的な差異を持ちます。コンテキストを持たない音楽は、コンテンツとしては存在できても、文化としての深さを持ち得ません。
Google自身も、この問題を制度的に認識し始めています。2025年の品質評価ガイドラインの改定において、AIによって自動生成されたコンテンツを「最低品質」と評価するよう、品質評価者に求め始めました(SEO Japan「Googleが品質ガイドラインを改定」2025年)。また、AIでは作り出せない独自性や一次情報による差別化が一層求められるようになったという認識も、コンテンツマーケティングの現場で広く共有されています(MarkeZine「AI時代のコンテンツマーケティング」2026年)。
Ⅶ 翻弄の6年間が教えてくれたこと
コロナ禍から始まった6年間は、音楽制作の現場にとって、潮の流れに翻弄され続けた時間でした。
パンデミックという誰も想定し得ない状況が訪れると、大手資本は利潤を確保するために動き、助成金という潮流が生まれ、多くの施設がそれに乗りました。しかし潮は必ず引きます。引いたあとに残るのは、過剰な設備投資という固定費と、次の波に対応できなくなった体力の喪失です。続くAIの台頭は、コロナ禍に個人制作へと転換したクリエイターたちのビジネスモデルを、さらに根底から覆しました。
これらの変化に共通する構造があります。それは「何かの潮流に依存する」ことの脆弱性です。助成金に依存した施設は、助成が終わると立ちゆかなくなりました。配信という潮流に乗った施設は、スマートフォンとAIがすべてを完結させる時代への適応力を失いました。個人制作という生存戦略に転換したクリエイターたちは、AIによる無料大量生成の前に、自分の制作物の経済的価値を失いました。
一方で、変わらなかったものがあります。生のマイクで人間の声を捉え、良質なプリアンプを通して記録し、エンジニアとアーティストが同じ部屋で議論しながら音を作る、という行為です。それは技術的な優位性の話ではありません。人間の表現という一次情報を、物理的な過程を通じて記録するという、録音の根本的な意味の話です。
なお、VTuber市場は2020年の144億円から2023年には約5.6倍に達する規模に成長し(経済産業省報告書)、「歌ってみた」収録をはじめとする少人数・個室対応のスタジオ業務は、コロナ禍においても感染予防対策の範囲内で継続が可能な業務として機能しました。これはスタジオの物理的・対人的な作業の強みが、感染症対策と両立し得ることを示す具体例でもあります。
結びに
空気を刻む仕事とは、技術の話であり、哲学の話であり、文化の話です。
どれほどAIが進化しても、ある瞬間に、ある部屋で、人間が声を発し、それがマイクに触れ、プリアンプを通り、エンジニアの耳で確認される、というその一連の物理的な出来事は、AIには再現できません。なぜなら、それは過去の情報の再構成ではなく、新しい一次情報の誕生だからです。
無数のAI生成楽曲が配信プラットフォームに溢れる今、人々はやがて「この音楽は誰が、どこで、どのように作ったのか」を問い始めるでしょう。その問いに答えられる音源の希少性は、今後さらに増していくはずです。ロイター・ジャーナリズム研究所が「現場取材の強化」を91ポイントという圧倒的な差で指示しているように、AI時代における一次情報の価値は、下がるどころか高まり続けています。
コロナ禍からAI時代へと続く混乱の6年間が、私たちに改めて問いかけているのは、録音文化の本質でした。その問いへの答えを、スタジオという場所はすでに持っています。人間の手が、声が、呼吸が、空気を揺らす。その瞬間を記録し続けること。それが、いかなる時代にあっても、録音という仕事の変わらない核心です。
参考資料・出典
- 経済産業省「ライブ・エンタテインメント白書 2023」(ライブ・エンタテインメント調査委員会)
- 経済産業省「音楽産業の新たな時代に即したビジネスモデルの在り方に関する報告書」2024年7月
- 経済産業省「業界の現状及びアクションプラン(案)について【音楽】」2024年12月
- IFPI Global Music Report 2021
- CISAC Global Collection Report 2021
- CISAC「音楽・AV分野におけるAIの経済的影響調査」2024年12月
- Survey Reports「音楽における生成AI市場規模調査」2025年
- Reuters Institute「Journalism, Media and Technology Trends and Predictions 2026」
- AMP「ニュースは本当に読まれなくなったのか」2026年2月
- Musicman「音楽クリエイター、生成AIで1.6兆円の損失も」2024年
- デロイト トーマツ「生成AIが音楽ビジネスモデルにもたらす影響」
- Billboard Japan「作曲家、作詞家は、誰が支援するのか」2020年
- Musicman「新型コロナウイルスによる音楽業界への影響に関する調査結果」2020年
- Recording Forum「JAPRSレコーディングにおけるコロナウイルス感染症予防対策ガイドライン」2020年
- ワンズウィルミュージックスクール「宅録とスタジオ録音の音質の差はどこから生まれるのか」
- スタジオノア「録音品質を決めるサンプルレートとbit深度の重要性」
- SEO Japan「Googleが品質ガイドラインを改定」2025年
- Salesforce「各業界のインフルエンサーが語る生成AIの影響と未来」2025年
- TRIVISION STUDIO「ビートリーシングについて」2021年